Anonymous (2011)

これは面白いよ。

不幸にも、ワシがシェイクスピアに興味を持ち始めたのは、この十年くらい、英語がある程度理解できるようになってからだ。それまではチンのプンでカンのプンだった。RPの英語を心地よく聞けるようになってからは、映画やオーディオブックなんかも楽しめるようになった。

ただねえ、こういうシェイクスピアを扱った話、背景や知識に対するハードルが高いのよ、ワシらには。英国や米国の国語の授業ではシェイクスピアの作品を扱うし、英国史の扱いも日本国内とは違うだろう。こういう英語が母国語で且つ教育の有る層を前提としているので、結果、作品の表面しか理解できないまま、モヤモヤしてしまう。理解出来ていないと判る人は良いが、理解できないことが理解できない人も居るだろう。

つまるところ、こういう作品の理解には十年、二十年分の教育が前提だということ。だから英語文化圏以外では興行的に成功しない。多分、この映画もそうだろう。

一方、小学校で英語が必修になり、世の中の馬鹿ママは幼い我が子を英語塾に通わせてるらしいが、どうだかねえ。バイリンガルが良いとは思わないけどね。ワシが知ってるバイリンガルの人、みんな薄っぺらいというか、中途半端というか、浅いというか、そんなヤツばっかだけどね。脳味噌の大事な部分が日本語と英語でいっぱいなんだろ、きっと。大事なのは言葉そのものじゃなくて、その裏っ側。歴史と文化への理解が伴わなければ、ペラペラ喋れてもペラペラの人間だっつうことだ。

だから、シェイクスピアが理解できることを良いとも悪いとも思わない。逆に言えば、宮沢賢治を外人は100パーセント理解できないだろ。