富山人が信用できない理由

富山市に越してから二年が経った。こういうご時世なので呑み歩いたりレストラン巡りは出来ない。他人と接する機会が少ないが、それでもまあ余所の人と話をしたり、業務上の連絡をしたりする。で、少ないサンプル数ながら私が至った結論は「富山人は信用できない」だ。

 

その場しのぎの嘘をつく人が多いのだ。そんなクソみたいな人間がいるとは思っていなかった私はころっとヤラれていた。後から考えると辻褄がつかないぞ、と気付いて腹が立つわけだ。何度かこういう事が在ったので何故なんだと考えてみたわけだ。

 

ジェネリック薬品会社の不祥事*1

薬都富山などと喧伝しているが不祥事だらけ。日医工北日本製薬、日新製薬と軒並み富山の事業者が摘発されている。理由は明らかだ、こいつらにはそもそも薬を製造する能力が無いんだ。

 

昔のお殿様が支那人から製造法を教わり生産・販売を初めたのが事の起こりだとか。藩は薬品の販売に力を入れ、人材を育成するための学校を作ったりした。全国に販売網を広げ、置き薬という決済方法なども取り入れ、大成功し今に至る。っつうのが富山人が語るお故郷自慢だが、この話に既に答えが含まれている。細かく見てみよう。

 

  • 薬の製法は教わったものであって、考案したものではない。
  • レシピがあれば当時の薬は生産するのは難しくはない。自慢することではない。
  • 学校で教えていたのは読み書きそろばんと販売に必要な薬の知識であって、製薬や創薬ではない。販売員を育てていただけで、薬学部といより商学部であろう。

 

つまり、薬の富山と言ってはいるがこれは半分嘘で、本当は「売薬の富山」なのだ。国立大薬学部(笑)などと言うが、商学部程度の教育しかしてなかった学校を祀り上げてうまいこと駅弁大学に喰わせただけ。そんな成り立ちなので教育者も学生も程度は知れている。こんなとこに県外から来るスキモノが居るのか知らないし、無意味。おおむね地元富山の雑魚い人間にさらに磨きを掛けてるんでしょう。

 

どうやって売薬で成功したのか

なんとか拵えた薬を背中に担いで売りに行くわけだ。だが余所の藩で商売するには許認可が必要だ。当時からクズいと評判の薩摩藩は認可の代償として売薬して旅する商人にスパイ行為をさせることを強いたのだ。更には支那への抜け荷のカムフラージュとして富山の昆布商船も利用した。

 

富山の商人は副業で隠密を行い、富山の商船は密輸の片棒を担いでいた。利益の為なら人を欺くことを厭わない、お上の決めた法律も関係ない。トンデモナイな。富山人が薬だ昆布だと言い出したらこの話をして黙らせましょう。

 

人を騙してでも法を犯してでも金が欲しいのが富山人。刻まれ継承されたたスパイ・密輸のDNAは現代も健在だ。人様の口に入るもの、しかも薬効を期待させ高価で売りつけるものを積極的に損なっていく姿は正に土人いや土人以下だ。

 

不祥事を起こしたのがジェネリックというのも興味深い。薬を売っては来たけど、創薬なぞもってのほか、なのでジェネリック薬品ということなんだが。その製薬もままならないので不祥事を出してしまう馬鹿っぷり。こいつら本当に日本人かな。嘆かわしい。

 

信用・信頼に値しない

富山市内・県内のみならず、県外に出た富山人にも警戒すべきだ。こいつらは「バックスタブ上等。ハシゴ外し当たり前」という富山ルールで行動している。おー怖っ。上司や同僚、部下に富山人が居ないか確認しておきましょう。

 

ま、全ての富山人がクズだとは言ってません。そういう傾向なんじゃないかなという個人的な意見。もひとつ、富山人の女性は気の利かない田舎モンというだけでクズ率はやや低い。男性は圧倒的にクズいし雑魚い、しかもオトコブス。一旦東京などで大学生活を送り還ってきた旦那衆などはマシなんでしょうが、そこら辺の大学生だのニーチャンだのオッサンだのはほぼ全て雑魚という認識からお付き合いを始めた方が良い。

*1:ADRが正式発表となった5/13に部長級以下10名ほどで居酒屋で祝杯揚げていたのを目撃した。要するに、裁判沙汰にならなくてバンザイ、イエーつうわけだ。世の中舐めてんのか、死んでくれ。