福知山からもう6年だ

JR福知山線脱線事故からもう6年だ。あの事故の前の日、同じ福知山線の三田の友人を尋ねていた。さんざ深酒して、明日の会社どうしようか、このまま寝て昼から出社にしちゃおうか、なんて言ってた。

結局、当時の奥さんの酒が抜けるのを待って、夜中に車で堺に帰った。あの列車に乗ってしまう可能性があったかと思うととても怖かった覚えがある。

チャリで事故するとか、呑んでいてガラッパチに搦まれるとか、こういうのは、危険回避能力でなんとかなる。歳を重ねるにしたがってそういう能力は上がるし。

ただね、福知山線の事故とか、福島の原発とか、個人の危険回避能力ではどうしようもない。間接的に、市民オブザーバーとか、代議士を通して、前もって活動することが必要なんだな、と改めて感じる。

JRにしても東電にしても、私には詳しいことは分からないが、同じように経営や癒着、市場の寡占といった構造の問題があったのだろうなとは思う。

いくらGDPが大きくなっても、いくら産業主幹技術を輸出していても、こういう市民オブザーバや代議士の数やレベルとは無関係なんだろう。社会的な熟成ってのが本当の課題なんではないだろか。